HANEDA AIRPORT ~ Runway archive~
羽田空港の滑走路は知れば知るほどおもしろい
『幻の滑走路 33Rがあった!?』
2023年は羽田空港70周年で
記念展 “The History of HANEDA”が開催されていました。※1
写真は、1971年4月撮影。
拡大すると3本の滑走路の数字も確認できます。
旧A滑走路 33L/15R
(1946-1973年運用)
旧C滑走路 33R/16L
(1964-1997年運用)
旧B滑走路 22/04
(1946-2000年運用)
羽田に通い始めたのは
2005年ごろなので…
すでに現在のA〜C滑走路に
なってからでした。
羽田は急速に拡大したことから
その滑走路の変化もめまぐるしく、
その発展が面白いのです。
旧A滑走路の33Lは急速に拡大した
旅客の受け入れのために
拡張されたターミナルのエプロンが滑走路に
やや食い込む形で作られていて、
運用が難しかったことから、
隣の旧C滑走路33Rを主に使っていたようです。
(写真でもエプロンと滑走路の近さが確認できますね)
このあと、現在の
A滑走路 34L/16R (1988年〜)
C滑走路 34R/16L (1997年〜)
B滑走路 22/04 (2000年~)
D滑走路 23/05 (2011年~)
が運用を開始しました。
ちなみにB滑走路も方位こそは、
22/04のままですが、1946年から使用され、
2000年に現在の位置に移設。
ある意味、最も古い滑走路でありながら、
RWY22が離陸で使用できるようになったのは、
ごく最近の2020年3月、
南風の都心ルートが運用されるようになってから。
この都心新ルートは22上がりや、
RWY16のパラレル飛行など、
羽田での撮影の幅がぐっと広がりました。
コロナ禍のヒコーキに乗れない間に
昔の写真に触れる機会があり、
航空写真家ルーク・オザワ先生の「航空の世界」を拝読し
羽田空港のかつての姿が新鮮で、
近代的な今とは違う様子やヒコーキの機体と旅客との近さなどに驚きました。
羽田空港からヒコーキに乗るときに、
かつての姿と重ね合わせて乗るのも
今は楽しみのひとつです。
Thanks to....
最後に、今回ご尽力くださった
ルーク・オザワ先生、敏腕編集者M氏、
ラグジュアリーフライト中澤店長を
はじめとするみなさまに
この場をお借りして、お礼申し上げます。
〈参考文献〉
「日本空港ビルディング60年史」
「羽田空港アーカイブ1931-2023」徳間書店
「羽田の空 100年物語」近藤晃著
「航空の世界」ルーク・オザワ著
※順不同
※本記事におけるコピー・画像の無断転載はお断りしております。
※)1羽田空港を運営する日本空港ビルディング70周年